【 亀塚古墳 】
所在地: 港区三田4-16-20 亀塚公園内
日本考古学史上、著名な坪井五郎等によって古くから古墳と指摘されていた亀塚は、
詳細な学術調査が実施されず、古墳であるとの確証は得られずにいた。
昭和40年代の高度経済成長期、市街地化が進められたこともあり、当時の港区文化
財調査委員会(現在の港区文化財保護審議会)の委員の一人であった慶應義塾大学教
授・清水潤三は、遺跡保護の観点から調査の実施に慎重な対応を続けていたのですが、
港区文化財調査委員会の要請を受け、昭和45年(1970)に亀塚の測量調査、昭和
46年(1971)、港区教育委員会と共同でトレンチ掘削調査を実施している。
調査の結果、亀塚本体から遺物は殆ど出土せず、弥生時代後期の土器、土師器・須恵
器の小片が僅かに出土したのみでした。しかし、清水潤三は調査のまとめとして、
「(略)この亀塚の墳丘は古墳時代に築成された可能性が高く、それだけ古墳である公
算が大であると考えるに至った(略)」と記述している。
平成14年(2002)、平成17年(2005)、平成18年(2006)の3度
に亘り発掘調査が実施されており、人工物であると確認されたものの、古墳としての埋
葬施設や周濠の存在が明確ではなく、古墳であるとの確証は得られていない。
ただ、亀塚構築土の表層を除き中世以降の遺物が含まれていないこと、構築土の堆積
状態、亀塚の直下で弥生時代後期の住居跡が検出されたことなどから、亀塚が古墳であ
る可能性はかなり高いと推察されています。
未だ古墳であるとの確証は得られていない「亀塚」。今後、更なる学術調査が実施さ
れるかは定かではないが、考古学の研究は日進月歩である。将来必ずや明らかとなる日
が来ることだろう。
(参考資料)
港区立郷土歴史館特別展 港区と考古学-未来へと続く、遺跡からのメッセージ-
港区立郷土歴史館
歴史散歩みなと 港区教育委員会
現地案内板