日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

伊皿子貝塚 地層標本(東京都港区)

 

  【 伊皿子貝塚 地層標本 】

 

   所在地: 港区三田4-17-28 三田台公園内

 

   ※ 伊皿子貝塚   現NTTデータ三田ビル 港区三田4-19

 

 

 伊皿子貝塚は、大正14年(1925)、藤枝隆太郎「伊皿子貝塚報告」、昭和23

年(1948)、江坂輝彌「旧東京市内先史時代遺跡調査概報(2)」において、カキ

を主体とする貝層であること、縄文時代前期の土器が出土していること、貝以外の動物

遺体が採集されないことなどが報告されていました。

 

 遺跡地は、戦前は三井家の伊皿子邸、戦後はセントメリー・インターナショナル・ス

クールとして使用されており、藤枝報告は、三井家伊皿子邸建築工事の際に発見された

貝層や土器片を報告したものである。

 

 昭和52年(1977)6月、日本電信電話公社(現在のNTT)社屋建築計画を機

に試掘調査が実施され、壊滅していたと思われる貝層が残存していることが明らかとな

り、昭和53年(1978)7月から昭和54年(1979)12月にかけて、発掘調

査が実施されている。

 

 調査では、ハイガイとマガキを中心とした貝層だけでなく、縄文時代後期の住居址、

弥生時代の方形周溝墓、古墳時代平安時代の住居址、江戸時代の遺構も検出し、長い

期間に渡り利用されていたことが明らかとなった。

 

 縄文時代後期の住居址床面から称名寺式土器が出土したことから、貝層中から炭化物

を採取し年代測定が行われ、貝層が約4000年前の縄文時代後期に堆積したことが明

らかとなっています。

 

 

 

 発掘調査では、伊皿子貝塚と他の貝塚を比較して、それぞれの貝塚の生業活動の特徴

や差異を導き出すことができるよう、各種データを比較可能な状態でまとめることを基

本に据えて作業が進められ、貝層体積の求積方法を検証・開発したことは画期的なもの

であった。

 

 その後、地層剥ぎ取りが行われ、三田台公園を遺跡公園として整備するに際し、地層

標本が整備されました。

 

 

 「伊皿子貝塚」地層標本が復元整備されているものの、あまり認知されていないので

はないでしょうか💦

 

 公園ということで公園緑地課?が公園内の清掃は行っているのでしょうが、地層標本

展示ケース内までは手入れされてはいないように感じました(+_+) 

 

 こうした点から【文化財保護と活用】を考えることも必要であると思います。

 

 (参考資料)

   港区と考古学-未来へ続く、遺跡からのメッセージ- 港区立郷土歴史館

      現地案内板