【 安宅関跡 】 評価 ★
別 名:
所 在 地: 小松市安宅町夕140
築城年代: 文治3年(1187)
築 城 者: 富樫泰家
区 分: 関 所
現 状: 安宅公園・安宅住吉神社
文治3年(1187)、加賀守護・富樫泰家によって構えられたとする。
源頼朝によって追討令が下された源義経・武蔵坊弁慶ら一行は、奥州藤原氏を頼って
平泉目指して木曽街道を下向した。安宅関において弁慶が偽りの勧進帳を読み上げ、泰
家は義経と見破ったものの、義経の身の上に同情し関を通過させた歌舞伎の『勧進帳』
で知られる地である。
『兵部式』では安宅駅、『義経記』では安宅の渡、『八雲御抄』では安宅橋と記述さ
れるのみで、謡曲『安宅』のみで安宅関と記されている。
この地に関所が構えられたかの実情性に関しては疑問視されており、一時的(簡易
的)な番所が設けられ、間もなく取り壊されたものと推測されている。
なお、『勧進帳』で著名な逸話は、『義経記』では越中国小矢部川河口の「如意の渡
し」での出来事として記されています。『義経記』自体が後世の軍記物ですので、言わ
ずもがなといった感すらあります。
現在は「安宅公園」となっており、簡易的な門と石碑もある。『勧進帳』を映像で解
説する「勧進帳ものがたり館」などの施設もあり、小松市の観光名所となっています。
「安宅関」・・・実態すら明らかではありませんが、ひとまず城館跡として更新して
おくことにします(^^♪
(参考資料)
現地配付パンフレット