【 永江館跡 】 評価 ★
別 名: 真宝寺館
所 在 地: 中野市永江1923
築城年代:
築 城 者: 永江日向守
区 分: 居 館
現 状: 真宝寺・宅地・耕地
『長野県町村誌』には、「古城跡」として・・・「村(永江村)の東の方にあり。東
西三十間(54m)南北六十五間(117m)。東北は数十丈の巌壁にして、麓は班川
北より東南へ統流す。西南石積にして、高九尺許、西北の隅、大手と見へて、築立てた
る道路幅三間あり。今真宝寺境内となる。其繞りの耕地、城内、城下と云ふ地名あり。
按に侍屋敷の跡ならんか。年月不詳永江日向守居城すと云ふ」とある。
以上から、築城年代は不明であるが、在地土豪である永江日向守の居館として築かれ
たようである。
慶長10年(1605)、明玄によって斑尾山 真寶寺が開基されていることから(諸
説あり)、それ以前に居館としての機能は失われていたであろう。
今回10数年ぶりに再訪した「永江館」であるが、周囲は宅地化が進み💦かつて堀跡
とされた耕地にも宅地が建っていた。
時代の変化というのは周囲の景観を変えてしまうものだが・・・、
高野辰之作詞の唱歌「朧月夜」の鐘のモデルとされる真宝寺の梵鐘の音は、かつてと
変わらぬ音で周辺の住民に時刻を告げていた。
(参考資料)