【 大龍和尚碑 】
所在地: 魚沼市小出島952 正円寺境内
大龍和尚は文政3年(1820)5月20日、高橋治良右衛門の三男として生まれ、
文政10年(1827)、林泉庵において得度した人物である。
と記述しておいて・・・ふむ。全く知らん💦💦林泉庵?ってどこやろ。まぁ、大龍
和尚の遺徳はここからである。
その後、大浦西福寺住職となり、開山堂を建立。東洋のミケランジェロとも称される
石川雲蝶作の彫刻完成に大きく寄与している。なお、開山堂完成前に、付近の住民から
西福寺住職は私腹を肥やしているとの流言飛語が蔓延したことから、大龍和尚は住職の
座を辞し、正円寺に移り住み隠居した。
慶応4年(1868)、戊辰戦争小出島戦争によって戦死した会津藩兵10名の亡骸
を正円寺に葬り、戒名を与え、墓碑を建立している。
こうしたことから、大龍和尚没後にその遺徳を讃えて碑が建立された。碑文の揮毫は
正円寺元住職であった永平寺63世貫主曹洞宗管長・瀧谷啄宗によるものである。
後半生の大龍和尚の事績は知る人がいることだろう。石川雲蝶の見事な彫刻が残る西
福寺も過去に行ったことがあるので、雲蝶と関わりがある人というだけで「ふ~ん」と
納得してしまう。
西福寺と正円寺を訪れたことで、歴史の細い糸が結びついていく。だからこそ歴史は
面白いのだろう。
(参考資料)
現地案内板