【 旧阿弥陀寺 脩正学校 就将学校跡 】
所在地: 中野市西条802 西条区民会館
江戸時代後期になると、貨幣経済の急速な発展に伴い、庶民の間でも、読み・書き・
そろばんの必要性が高まったことで、その教育機関として各地に私塾や寺子屋が生まれ
ている。『長野県教育史』によれば、中野市内には50余の私塾・寺子屋があったとさ
れています。
西条村・西間村・小田中村の三村では、創建年代は不明ですが・・・西条村にあった
明治5年(1872)8月、邑に不学の子なく家に不学の人なからしめんことを目的
に学制が発布され、庶民教育は文部省管轄となります。
明治6年(1873)、阿弥陀寺は廃寺となったことで、明治7年(1874)、脩
正学校が、明治15年(1882)には就将学校が開校されますが・・・、明治19年
(1886)、中野町5ヶ村(西条村・小田中村・一本木村・岩船村・吉田村)組合立
中野学校が設立され、就将学校は統合されました。
中野学校本校は旧中野陣屋跡に、分教場を中野町の鈴泉寺に置き、明治19年当時の
児童数は527人を数えています。
何気ない区民会館前に標柱が建っておりました。標柱があるだけで、地域の歴史を後
世に伝えることが出来ますね。
こうしたものも、様々な活動に活用してもらいたいと思います(^^♪
(参考資料)
現地案内板