【 旧園里学校 】
所在地: 須坂市豊丘字新田1076
明治6年(1873)、小山村(現在の須坂市小山)立止善学校支校として、灰野村
地蔵堂を利用して園里学校は開校しました。
明治時代初期の農山間部の就学率は低く、就学年齢に達した児童109名に対し実際
に入学したのは51名でした。
明治10年(1877)、地蔵堂が焼失してしまったことから、明治12年(187
9)、平屋建て四十坪の校舎が新設され、この間に競進学校と改称され、明治15年
(1882)には園里村立園里学校に改称されました。
明治16年(1883)、児童数の増加に伴い、木造二階建て寄棟造(平屋附属舎は
切妻造)桟瓦葺、桁行9間、梁間3.5間、外壁は大壁造白漆喰仕上げの校舎が新築され
た。古記録には真壁造の六角塔屋が付いていた。
また縦長の上げ下げ窓の採用、鎧戸、隅石、玄関ポーチ、円柱、柱飾などに明治時代
初期に建築された学校の特徴である擬洋式の特徴を示している。
昭和4年(1929)、校舎新築移転後は豊丘村役場、須坂市福祉企業センターなど
に利用され、平成4年(1992)、復元修復工事を経て、平成5年(1993)に園
里郷土資料館として開館している。
土日祝日休館(事前連絡すれば開館対応可能、GW中は開館)で、内部資料の確認は
出来なかったのが残念(>_<)
長野県内には、著名な開智学校だけではなく各地に明治時代初期の擬洋式学校が残さ
れている。ひとつひとつを比較してみるのも面白いかもしれませんね(^^♪
(参考資料)
現地案内板