【 西条・岩船遺跡群 】
所在地: 中野市岩船、西条
大正15年(1926)、小林一美氏がこの附近の畑から出土した埋納銭容器を発見
しています。
この埋納銭容器は珠洲焼の甕で、器高は43㎝、口縁部を欠く状態で出土し、中には
94㎏の埋納銭が収納されていました。
平成元年(1989)、中野市教育委員会による発掘調査が実施された際には、縦3
3㎝、横43㎝、深さ21㎝の木箱の中から34,000枚(52種類)の埋納銭が緡
(100枚毎に紐を通したもの)状態で出土しています。
さらに平成7年(1995)、中野市教育委員会による発掘調査が実施された際に
は、8600枚(57種類)の埋納銭が入った珠洲焼の甕が出土しています。
銭は鋳造された年は記録から判明しており、「西条・岩船遺跡群」出土の埋納銭でも
っとも新しいものは、元王朝で1310年に鋳造された至大通宝。鋳造輸入されて日本
で流通するまでのタイムラグを考慮すれば14世紀前半から半ば(鎌倉末期から南北朝
時代)ころと推察され、全国的に最も埋納銭が盛んに行われた時期と重なっている。
埋納銭はいつでも取り出せるように埋めたもので、戦乱が相次いだ中世においては、
財産を一時的に備蓄したものの、何らかの事情で掘り出されなかったものと考えられま
す。この地は「岩船氏居館跡」ともされていますから、それが関係しているものと思わ
れます。
何の遺構も残されていない中世城館跡として訪れるよりも、「西条・岩船遺跡群」と
して訪れるのも良いかと思います。いずれにせよ、案内版(埋納銭及び埋納銭容器とし
て)があるのみですが💦
(参考資料)
現地案内板