【 堀の内遺跡 】
蔵王町東部の円田盆地の西縁から張り出した丘陵地に立地する古墳時代前期・中期、
飛鳥~奈良、平安時代の複合遺跡が「堀の内遺跡」である。
平成元年(1989)、円田幼稚園建設に伴う発掘調査が実施され、竪穴住居跡6、
掘立柱建物跡1、土坑12を検出し、土師器・須恵器が出土しています。
また平成8年(1996)、農道白山八堀線改良に伴う発掘調査が実施され、竪穴住
居跡17、弥生土器、土師器・須恵器、続縄文土器が出土しています。
飛鳥から奈良時代の竪穴住居跡は9棟検出しており、住居跡からは関東系土師器
(坏・甕など)も多く出土していることから、「堀の内遺跡」集落に暮らした人々の中
には関東地方の生活様式をもった人が居たと推察されます。
当時の東北地域には蝦夷(エミシ)が暮らしており、大和朝廷が東北地方に勢力を拡
大させる政策が採られていました。
『続日本紀』に養老5年(721)、陸奥國柴田郡の二郷を分割して刈田郡を置くと
の記録があることから、大和政権が刈田郡に関東地方などから開拓移民として送り込ま
れた集落のひとつが「堀の内遺跡」であったと推察されています!!
円田中学校から円田児童園(旧円田幼稚園)にかけての丘陵一体が遺跡包括地であ
り、案内板は円田児童園入口に設置されています。
表層上の遺構は確認出来ませんが・・・蔵王町では多くの遺跡に案内板が設置されて
おり、学校教育等で活用されています。こうした取り組みは他地域でも参考にすべき取
組みだと思います。
考古学を学ぶものにとっても有難い蔵王町の史跡案内板。是非現地踏査されては如何
でしょうか(^^♪
(参考資料)
発掘成果から見えてきた平沢・小村崎の歴史
現地案内板