日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

三ノ耕地遺跡(埼玉県比企郡吉見町)

 

  【 三ノ耕地遺跡 】

 

            所在地: 比企郡吉見町大字久米田字二ノ耕地367-1

 

 

 吉見丘陵の眼下に広がる沖積地内の自然堤防上に立地している縄文時代晩期・弥生時

代末から古墳時代前期・奈良・平安・中世の複合遺跡。

 

 平成8年から9年(1996~97)の二ヶ年にわたり、土地改良事業に伴う発掘調

査が吉見町教育委員会によって実施されている。

 

 調査の結果、縄文後期・晩期の竪穴住居跡5、竪穴状遺構3の集落址と、南北13.5

m、東西7.3m、深さ1.8mの細長い楕円形の縄文時代晩期の水場遺構が検出し、ト

チノミ・クルミ・クリといった堅果類の木の実と一緒に植物繊維で作られたザル状の編

み物大小6点が出土しました。

 

 また水場遺構底面には直径約40㎝、深さ約30㎝の湧水点とされるピットがあり、

土器・石器のほか石剣、手燭形土器、イノシシ・シカなどの獣骨などが廃棄されてい

た。周囲からは土偶、耳飾り、イノシシ形土製品も出土している。

 

 このことから水場遺構は、➀堅果類の虫殺しや灰汁抜きのための水晒しを行った場で

あるとともに、②イノシシやシカなどの狩猟に関わる祭祀が行われていたと推察されて

いる。

 

 さらに弥生時代末の方形周溝墓28基と並び、4世紀初頭頃の前方後方形墳墓(前方

後方墳へと変遷する以前の墳丘墓)3基が検出している。1号墳は69m、2号墳は約

40m、3号墳は約27mの規模であり、古墳時代初頭には大型墳丘墓を築造できる地

域の有力者が存在したことが推察される。

 

 1号墳東側では旧河川跡が検出しており、同時期に使用されたと思われる鋤・鍬・堅

杵などの木製品も大量に出土していることでも注目されている遺跡である。

 

 令和3年(2021)には埼玉県埋蔵文化財調査事業団による第4次調査も実施さ

れ、東山道武蔵道に沿って作られた溝跡などの遺構が検出しています。

 

 

 現状は耕地であり、遺構は地中💦しかしながら、案内板が建てられており考古学を学

ぶものには喜ばしい遺跡である。

 

 先の「歴史と文化を学ぶ会」で群馬県北群馬郡榛東村の【茅野遺跡】出土耳飾りとの

比較で「三ノ耕地遺跡」の名が挙げられ、「あれっ?行ったことある遺跡だよね?」と

思い、ようやくブログに更新したのであった(+_+)

 

 (参考資料)

   現地案内板