埼玉県の史跡
【 五明廃寺 】 所在地: 児玉郡上里町五明字若宮 昭和56年(1981)、町道拡張舗装工事に伴い、上里町教育委員会によって発掘 調査が実施された。 調査では南北に延びる浅い溝が確認されたものの、寺域に存在していた建物跡などそ の規模を明らかにす…
【 畑時能供養祠 】 所在地: 児玉郡上里町金久保701 「陽雲寺」境内 新田義貞四天王のひとりで、金窪城主・畑六郎左衛門時能は新田義貞に従い南朝方と して各地を転戦。 建武5年(1338)、新田義貞が藤島の戦いで戦死した後も、南朝方の将として義 …
【 三ノ耕地遺跡 】 所在地: 比企郡吉見町大字久米田字二ノ耕地367-1 吉見丘陵の眼下に広がる沖積地内の自然堤防上に立地している縄文時代晩期・弥生時 代末から古墳時代前期・奈良・平安・中世の複合遺跡。 平成8年から9年(1996~97)の二ヶ…
【 和名埴輪窯跡群 】 所在地: 比企郡吉見町和名 古くから和名沼の北側斜面一帯から埴輪片が発見されることは知られており、昭和4 9年(1974)、発掘調査が実施され、4基の埴輪を焼成した登り窯址を検出しまし た。 さらに昭和62年(1987)に…
【 組み合わせ式石棺 】 所在地: 比企郡川島町白井沼230 『大日本國史』武蔵國 古墳墓の項に「東大塚古墳」として記載があり、そこには「文 化年間(1804~1818)東大塚の古墳上の神明社修理の際に墳頂が削平され、青 石の石櫃が掘り出され、剣…
【 桜ヶ丘組石遺跡 】 所在地: 深谷市緑ヶ丘17-17 櫛引台地の先端部に所在する縄文時代後期の遺跡である。 昭和30年(1955)、発掘調査が実施され8基の石組遺構が検出し、うち5基が 埋め戻し保存がされている。 第1号遺構は2.0×1.4mの長…
【 水殿瓦窯跡 】 所在地: 児玉郡美里町沼上428ー1 埼玉県北西部、上武山地から連続する丘陵に囲まれた本庄台地の西南部に位置する。 昭和4年(1929)、柴田常恵氏らによる発掘調査が実施され、鎌倉時代の瓦窯跡 1基がほぼ完全な状態で検出された…
【 矢那瀬の石幢 】 所在地: 秩父郡長瀞町矢那瀬字北久保9 『新編武蔵風土記稿』矢那瀬村の条に「石灯篭一基、明応八年(1499)ニ造立セ シ銘アリ、柱ニ石モテ作レル車アリ」と記されている。 石幢は平安時代末期から造立されはじめた供養塔で、名称の…
【 埼玉県名発祥の碑 】 所在地: 行田市埼玉4834 昭和62年(1987)、建立。 律令による国郡制によって前玉郡として設置された郡であり、「東大寺正倉院文書」 神亀3年(726)、山背国戸籍帳に武蔵國前玉郡の表記が見られる。 明治4年(18…
【 大宮公園内遺跡 】 所在地: さいたま市大宮区高鼻町4-219 昭和30年(1955)、発掘調査が実施され、弥生時代後期の竪穴住居址1軒、弥 生時代後期から古墳時代初頭の方形周溝墓1基(一辺9.5m、周溝幅1.1m)を検出 しています。 遺物と…
【 宥勝寺裏埴輪窯跡 】 所在地: 本庄市早稲田の杜1-12-16 マリーゴールドの丘内 大久保丘陵の斜面に所在する埴輪窯跡で、平成13年(2001)、本庄新都心土地 区画整理事業に伴い発掘調査が実施され、窯跡の範囲調査の結果、五基の埴輪窯跡が良…
【 野上下郷石塔婆 】 所在地: 秩父郡長瀞町野上下郷39 現存する板石塔婆としては日本一の「野上下郷石塔婆」は、緑泥片岩製で高さ1丈丈 6尺7寸(537㎝)、最大幅3尺3寸2分(120㎝)、厚さ4寸(12㎝)。 『新編武蔵風土記稿』には、「古碑…
【 関流算術の碑 】 所在地: 児玉郡美里町木部 小林喜左衛門良匡は、関流算術の大家であり、幕末における激動混乱のなか、青年た ちに算術を通して善導し、質実剛健で真に世の中の為になる人物の育成に一生を捧げた 人物である。 良匡は寛政元年(1789…
【 義民兵内の墓 】 所在地: 児玉郡美里町関273 関観音堂境内 義民兵内こと遠藤兵内は、享保10年(1725)、関村で代々名主を務めた遠藤家 に生まれた。 宝暦年間(1751~1763)になると、中山道を通行する人馬が増加し、それま で奉仕して…
【 中宿古代倉庫群跡 】 所在地: 深谷市岡3286-2 中宿歴史公園 平成3年(1991)3月から10月にかけて、旧岡部町教育委員会によって発掘調査が実施され、掘立柱建物16棟・溜池状土壙5基・竪穴住居跡3軒・大溝等の遺構が検出し、須恵器・土…
【 田山花袋ゆかりの料亭 】 所在地: 行田市行田1-17 『田舎教師』五に「角に柳の湯といふ湯屋があって其れと対して 綺麗な女中のゐる料理屋の入口が見える」とある料亭が ここ魚七である 西の道路は水量の多い川で 柳の湯の大きな柳 忍警察 町役場の桜…