【 荘小太郎頼家供養塔 】
所在地: 本庄市栗崎155 宥勝寺境内
荘小太郎頼家は児玉党の祖・遠峰惟行より宗家を継ぎ、『平家物語』で寿永3年(1
184)、源範頼に従い一ノ谷の戦いで平重衡を生け捕った荘太郎家長の嗣子であった
人物。
頼家はこの戦いで討死してしまい、荘氏本宗家の直系は途絶えることになる。頼家は
若年であり嫡子はなかったことから、弟の三郎右衛門家次が養子となり本宗家を継いで
いる。
その後、荘氏本宗家は備中国草壁荘地頭に任じられたことから備中国に移り土着し
た。児玉本宗家は家長の四男・四郎左衛門尉時家が継ぐこととなり、本庄氏を名乗るこ
ととなる。
建仁2年(1202)、頼家夫人・妙清禅尼は頼家の冥福を祈るため宥荘寺を建立す
るが、延元2年(1337)、南朝・北畠顕家と北朝方に与していた本庄氏・児玉氏と
の薊山合戦で寺は焼失。天文24年(1555)、頼暁という紀州の僧侶によって宥勝
寺として再建されている。
さて、荘小太郎頼家供養塔は五輪塔であるが・・・、建仁2年(1202)建立され
たものであるかは不明である。
五輪塔は平安時代後期には成立したと推定されているが、風化度合いから推察すれ
ば、当初は鎌倉時代に武蔵武士の信仰に強く影響を受けた緑泥片岩の板碑であった可能
性も考えられるのではないだろうか。
まぁ、某。石造物も専門外っす💦💦💦石造物に御興味ある方は宥勝寺を訪れて調査
してみて下さいm(__)m
(参考資料)
現地案内板