日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

浮島十三重石塔(京都府宇治市)

 

  【 浮島十三重石塔

 

           所在地: 宇治市宇治塔川 京都府立宇治公園塔の島

 

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 塔高約15.2mの石造十三重構造の層塔で石塔婆(石造供養塔)。現存する近世以前

の石塔としては日本最大である。

 

 観光案内等で日本最古の石塔としているものも散見されるが、これは事実ではない。

石造層塔では、奈良時代前期に築造された滋賀県東近江市所在の「石塔寺三重塔(伝・

阿育王塔)」が日本最古である。また奈良市長谷町所在の「塔の森十三重石塔」は奈良

時代後期に築造されたもので、破損は甚だしいものの現存している。

 

 弘安7年(1284)、宇治橋の大規模修築を手掛けた叡尊は、宇治橋完成の弘安9

年(1286)、宇治川川中島として人工島を築き、放生会を修する祈祷道場とし、

同年11月19日、宇治川の魚霊供養と橋の安全を祈念し、島の中央に大塔婆を造立し

た。これが「浮島十三重石塔」である。

 

 頻発する宇治川の氾濫にも耐え、激流に浚われることもなかったことから、いつしか

浮島・浮舟ノ島などと人々に呼ばれるようになった。しかし、石塔は氾濫被害によって

倒伏と修復・再興が繰り返されてきた。

 

 宝暦6年(1756)、宇治川の未曾有の大氾濫で倒伏した石塔は、川底の泥砂に深

く埋もれ、再興されることはなかった。

 

 明治38年(1905)、石塔の復興が発願されると、明治40年(1907)、多

田清蓮率いる福田梅(ふくでんかい)の人々によって発掘作業が行われ、明治41年

(1908)には、女性信者の髪の毛の綱を用いて石積みが行われている。九重目の笠

塔と相輪は発見されず、新たに制作されたもので再興されたが、その後、元々の九重目

の笠塔と相輪が発見された。それらは興聖寺庭園に移築されている。

 

 圧倒される石塔の高さである。平等院には多くの人が訪れていたのだが、こちらは宇

治上神社に向かう人であっても観賞する人は多くない💦💦日本を代表する貴重な石造

物なので、より多くの人々に関心を寄せてもらいたいものである。