【 源頼政の墓 】
所在地: 宇治市宇治蓮華114 最勝院境内
治承4年(1180)4月9日、源頼政は息子の仲綱とともに三条高倉御所の以仁王
のもとを訪れ、平家打倒を申し入れた。以仁王は藤原宗信に命じて令旨を発布させる
と、源行家に諸国の源氏の元に向かわせる。
しかし、この謀議は忽ち平清盛の知るところとなり、以仁王は近江国三井寺で挙兵
し、頼政らと合流する。僧兵らも呼応するが多勢に無勢💦5月26日には三井寺を退去
その途中。以仁王が疲労し落馬💦一行は平等院で休息することとなる。そこに平知
盛・維盛ら平家2万の兵が追いつき合戦となった。世にいう「宇治川の戦い」である。
源頼政の子である仲綱・兼綱・仲宗は奮戦虚しく討死。頼政も平等院境内で自刃す
る。齢76という。
さて、源頼政の墓であるが・・・、高さ約2mの宝篋印塔である。
平等院塔頭である最勝院境内にあり、最勝院は承応3年(1654)、京都東洞院六
角の勝仙院の僧・澄栄が平等院に移住し創建しており、宝篋印塔は江戸期のものと思わ
れる。
平等院散策で見逃せない場所の一つなのだが・・・、素通りしてしまう人も多いよう
だ(+_+) 平等院というと鳳凰堂と思いがちだが、こうした史跡もしっかり見学してもら
いたいと思います(^^♪
(参考資料)
現地案内板