「宇治川太閤堤跡」を後にし、次に向かったのは・・・、
この「宇治橋」に関わる史跡です。察しの良い方は「あっ、あそこか」と思ってくれ
るでしょうが、宇治を訪れる多くの人は訪れることはないでしょう💦
🔵 放生院 橘寺 宇治市宇治東内11
推古天皇12年(604)、聖徳太子の命で秦河勝が創建したとされる。
この「放生院 橘寺」の名を聞いてピンときた方は考古学に興味をお持ちの方かな。そ
うこの寺には日本三古碑(多賀城碑・多胡碑・そして○○○○)の一つにも数えられる
古碑「宇治橋断碑」があるんです。
「宇治橋断碑」は覆屋の中。写真撮影は禁止ですので、参拝して直に見ていただきた
いと思います。碑文の説明は、しっかりと別トピで行いますね。
断碑を見ながら、御住職と話し込んでいましたら、なんと御住職。奈良大学文化財学
科美術専攻卒とのこと。某は通信教育部ですが・・・、奈良大学の先輩だったという
(^^♪
考古学の勉強をしていて、「宇治橋断碑」は是非見たかったんですよってな話をしま
したら、ご厚意で断碑の拓本を見せていただけました。なかなか拝見出来ないので、御
住職(先輩)には感謝感謝です。
そうこうしていましたら、「宇治橋断碑」を見たいと一組の親子がいらっしゃいまし
た。なかなか宇治に来て断碑を見たいって思う人はいないので、嬉しい気分になりまし
た。こうした方が増えてくれることを期待したいです。
集合時間も遅れたことから、すでにお昼どき💦これが関西支部研修あるある💦久々
に会った仲間ともゆっくり談笑もしたいですから、良いお食事処を探しつつ移動開始。
その途中で・・・、
現存する近世以前の石塔としては日本最大の塔高約15.2m。ちまみに日本最古の
一行は当初予定していた史跡を横目に(この時点では戻ってくる予定も関西支部あるあるで、結局未踏査💦)、JR宇治駅も通り過ぎ、とある一軒のお食事処に到着するの
であった。
その3 に続く