【 野上下郷石塔婆 】
現存する板石塔婆としては日本一の「野上下郷石塔婆」は、緑泥片岩製で高さ1丈丈
6尺7寸(537㎝)、最大幅3尺3寸2分(120㎝)、厚さ4寸(12㎝)。
『新編武蔵風土記稿』には、「古碑へヲ仏ト云、小名小坂ニアリ長サ一丈六尺七寸、
応安二年己酉十月日」と記されている。
同質の台石上に立ち、表面上部には釈迦如来の種子に梵字の光明真言、「願以此功徳
云々 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道」の法華経化城喩品の偈文を刻んでいる。
「権少僧都大檀那道観 比丘尼妙円 行阿 応安二年乙酉十月 日敬白 正家 正吉
結衆 三十五人 道観」という造立紀年銘と連名が刻まれている。
「野上下郷石塔婆」は仲山城主・阿仁和直家が落城の際に討死し、十三回忌にあたる
応安二年(1369)十月に、夫人の芳野御前(妙円尼)が追善供養のために建立した
ものである。
なお応安という年号は北朝側の年号であることから、仲山城主・阿仁和直家は北朝方
に属していたことが明らかである。
明治25年(1892)、国道開通に伴って現在地に移されたものである。
確かに普段良く目にする板碑に比べて大きい。板碑好きならば一見の価値はあろう。
長瀞・秩父に向かう街道沿いにあり、史跡案内看板も大きいので見逃すことはないで
あろうが、「あっ」と通り過ぎてしまうかもしれない💦
(参考資料)
新・長瀞ひとり歩き-文化財・名所をたずねてー 長瀞町文化財保護審議会
現地案内板