【 万葉遺跡 防人藤原部等母麿遺跡 】
天平勝宝7年(755)2月、武蔵國防人部領使に任じられた安曇宿禰三国が進献し
た防人の人々並びにその家族によって詠まれた歌の一首が『万葉集』巻20に記載され
ている。
足柄の 御坂に立して 袖振らば 家なる妹は さやに見もかも
埼玉郡上丁藤原部等母麿
色深く せなが衣は 染めましを 御坂たばらば まさやかに見む
妻物部刀自売
(要約)
足柄山の坂の上に立って袖を振ったら、家にいる妻にはそれがはっきりと見える
だろうか
夫の袖をもっと色濃く染めればよかった。そうすれば、足柄の坂を越える時には
っきり見えるだろうに
防人として赴任する夫とそれを見送る妻が、別れの悲しさを取り交わした歌として知
られています。
藤原部等母麿夫妻が、実際埼玉郡のどこに居住していたのかは明らかではない。しか
しながら、地名等からこの附近に居住していたと推測する説があることから、昭和18
年(1943)、部等母麿夫妻の歌の関連史跡として指定されています。
昭和36年(1961)、歌碑が建立され、埼玉県指定旧跡となり、平成8年(19
96)、万葉遺跡として現在の名称に変更されました。
史跡指定された背景には、何かありそうな気がする遺跡である。
八幡山公園の「八幡山古墳」を見学するために訪れたのであるが・・・、「万葉遺跡
防人藤原部等母麿遺跡」もありラッキー(^^♪
見落としやすい石碑であるが、案内版もあるのでしっかり確認して下さいねm(__)m
(参考資料)
現地案内板