【 水殿瓦窯跡 】
埼玉県北西部、上武山地から連続する丘陵に囲まれた本庄台地の西南部に位置する。
昭和4年(1929)、柴田常恵氏らによる発掘調査が実施され、鎌倉時代の瓦窯跡
1基がほぼ完全な状態で検出された。
また平成元年(1989)には美里町教育委員会による遺構確認調査が実施され、3
基の瓦窯跡が確認されている。
窯の構造は平窯で、瓦焼成室(函窯)と燃焼室(焚場)とが隔壁によって分断されて
いる。焼成室の床面には並行する4条の溝が設けられ、溝は手前の燃焼室に通じ、火気
を誘うように造成されていた。
奥壁には上端から24㎝、下に約6㎝四方の孔をトンネル状に設けた排煙口があっ
た。
窯の規模は、長さ3.3m。焼成室は幅1.1m、奥行1.15m。深さは前壁で1.2
m、奥壁1.15m。隔壁の厚さは約0.3m。
遺物として押花文様や剣菱文様の軒瓦などが検出している。
「水殿瓦窯」で焼成された厚手の屋根瓦で斜め格子の叩き目の中に「大」と読める文
字が刻まれた平瓦、剣頭文の軒平瓦は、文治5年(1189)、源頼朝によって建立さ
れた鎌倉二階堂の永福寺跡で検出した寛元・宝治年間(1243~1249)の大改修
の際に使用されたものと類似しており、両者の関係が推察される。
何年ぶりの再訪であろうか?解説版は劣化してしまい、かろうじて判読できる状態で
あった。また覆屋の中の遺構は埋め戻されていることから、瓦窯の状態は覆屋の窓に貼
ってある案内を見て想像するしかない(+_+)
改正文化財保護法で文化財の活用が求められている昨今。遺構の保護の観点から埋め
戻しは致し方ないけれども、案内板だけでも修復されることが切に望まれる。
(参考資料)
現地案内板