「金屋遺跡」は、南魚沼市余川字道上ほかに所在し、魚沼丘陵東側に位置する独立丘
陵の東裾部、庄之又川によって形成された標高約192mの扇状地に立地している遺跡
です。
昭和57年(1982)、関越自動車道建設に伴う発掘調査が実施され、古墳時代・
平安時代の集落が営まれていたことが明らかになっています。
現在は国道253号八箇峠道路事業に伴う発掘調査が実施されており、令和5年度で
第7次調査となります。
令和5年(2023)11月3日(金・祝)、「六日町藤塚遺跡」と併せた発掘調査
現地説明会が実施されました。
調査区は大きく3ヶ所(R5➀~③区)。出土した遺構は、竪穴住居址9基、掘立柱
建物址2基、井戸址1基、土坑28基、土師器焼成遺構1基、溝・畑作溝63条、性格
不明遺構2基などが検出されています。
遺物としては、須恵器(杯蓋・有台杯・無台杯・甕・長頸壺・横瓶など)、土師器
(無台碗・小甕など)、黒色土器、勾玉、刀子、鉄滓などが出土しています。時期とし
ては9世紀(平安時代)が中心であり、器類以外の遺物が少ないことが特徴です。
土師器焼成遺構などが検出したR5➀区は、今回の現地説明会の際は既に埋め戻しさ
れておりました。
さて、R5②区ですが・・・、
畑作が行われていたエリアに土石流が流れ込んだことが明らかとなった遺構です。
また、金屋遺跡では初例となった井戸址も検出されました。
大型柱穴2も検出されましたが、調査区が限定されており規模や性格は不明💦
溝址からは墨書土器(▢女?)1点が出土しています。
R5③区はというと・・・、
床面規模約3.3m×2.6m、深さ約60㎝の竪穴住居址が検出しており、東北地方に
多く認められる煙道が長く造られたカマドが認められます。
( 未だ煙道は完堀されていませんが💦 )
この調査区からは勾玉も出土しています。
メノウ製で、長さ3.2㎝、幅1.9㎝。平安時代の遺構から出土しています。
こんな状態の遺物も・・・。欲しいっす💦💦
これまでの調査成果から、「金屋遺跡」は平安時代における魚沼地域の拠点的な遺跡
のひとつであったと推察されています。
勾玉が古代集落遺跡から出土することは非常に少ないことから、この地の有力者が関
与した遺跡である可能性がさらに高まりました。
「金屋遺跡」の調査はまだまだ継続しますので・・・、今後の調査に注視する必要が
ありますね(^^♪