令和5年11月3日(金・祝)、新潟県南魚沼市余川の「六日町藤塚遺跡」において
発掘調査現地説明会が開催されました。
遺跡は魚沼丘陵の東側、庄之又川によって形成された標高180mの扇状地上に位置
し、国道17号六日町バイパス及び国道253号八箇峠道路建設に伴う発掘調査を、平
成29年(2017)から行っており、今回の調査で第6次となります。
これまでの調査で、古墳時代から中世にかけ断続的に集落が営まれていたことが明ら
かとなり、古墳時代中期から後期にかけての集落では、祭祀あるいは廃棄にともなう土
器集積遺構、周堤が残る竪穴住居址などが検出しています。古代では飛鳥時代から奈良
時代の掘立柱建物址なども検出しています。
令和5年度(第6次調査)では、3つの工区で調査し、1・2区は既に発掘調査が完
了し、埋め戻しが終了しています。
1区では、平安時代(9世紀)の遺構として溝13条、土坑4基、ピット58基、古
墳時代後期(6世紀)の遺構として土坑2基、ピット83基、不明遺構4基を検出し、
土師器甕・高坏・坏などの土器集積遺構も確認されました。古墳時代中期(5世紀)の
遺構は確認されず、須恵器甕がほぼ1個体、上から押しつぶされたような状態で出土し
ています。
隣接地の過去調査で竪穴住居址、土器集積遺構を含む遺構が確認されており、1区西
側からは殆ど確認できていないこと、地形も沢状に落ち込んでいくことから、集落縁辺
と推察されています。
2区では、古墳時代から奈良時代・平安時代前期の溝・土坑・ピットなど約140基
が検出し、調査区中央に大規模な自然流路があり、遺跡北側の「金屋遺跡」から「六日
町藤塚遺跡」を通り、南に位置する「余川中道遺跡」方面に続くと想定されます。
古墳から奈良時代頃に形成されたと想定され、遅くとも江戸時代には完全に埋没した
と考えられています。川底両端には人工小溝3条が確認され、同時期の遺構ではありま
せんが導水・排水の用途があったと考えられています。
さて前置きが長くなりましたが・・・、今回の現地説明会では現在調査が進められて
いる3区の説明が行われました。
調査区北辺からは、前述した自然流路両岸から平行/直行して並んだ奈良時代以降
(鎌倉・室町時代まで下る可能性のある)畑作溝が検出しています。
手前が畑作溝遺構。そして説明している調査員が立っている辺りが自然流路遺構。
また切り合い状態で掘立柱建物址が4軒確認されました。掘立柱建物址➀・④はほぼ
同一規模で平行している建てられているようにも思われます。
新潟県の遺跡の層位などは知らぬことも多く、今回遺構を見ただけで(調査区も限定
されていますから)はなかなか解らないことも多いですね。
今後も調査は継続されますし、より多くの遺跡(遺構・遺物)を実見し、学びを深め
ることで理解出来ることもあるでしょうから・・・今回の現説参加で得るものは大きか
ったです(^^♪