【 中林城跡 】 評価 ★★
別 名:
築城年代:
築 城 者:
区 分: 平 城
現 状: 宅地・耕地
( 主郭部を望む )
古墳・中世城館跡・中世宝塔などが含まれた複合遺跡「中林遺跡」の地元で「地四郎
大明神」と呼ばれる宝塔のある場所が「中林城跡」の主郭にあたる。
北側にある山は物見であるが、そちらは今回確認していない。
東西は沢を利用した天然の堀を形成している。西南隅の土塁は高さ約2mが残存し、
堀跡も確認出来る。
また北側にも一部ではあるが、土塁を確認できる。
築城年代、築城者など城の詳細な歴史は不明であるが、文和2年(1353)、足利
尊氏は多胡庄の所領没収を佐々木道誉に命じているが、多胡領主・多胡氏(あるいは金
沢氏)をはじめ、神保・小串・瀬下・馬庭の各領主はこれに激しく抵抗し、佐々木勢を
撃退したとされる。
先に述べた宝塔は南北朝期のものであることから、「中林城跡」は南北朝時代に構え
られ、その後も活用されたのであろう。廃城時期も不明である。
「中林城跡」の立地を考えた際、鏑川河川交通の監視という役割を果たしていたので
あろう。基本的に要害性は感じられないことからも戦国期に活用されたとしても館とい
った感が強い。
高崎市指定史跡であったにもかかわらず、これまで未踏査だった。民家横を通り抜け
る必要があり、私有地に立ち入らぬよう留意することが求められる。
(参考資料)
現地案内板