【 曹源寺の名号角塔婆 】
所在地: 太田市東今泉町165 曹源寺境内
曹源寺第三十世住職が墓地内で直接地面に建てられていたものを整理し、第三十一世住職によって現在の場所に移され、台座が補われている。
名号角塔婆の四面には、「南無阿弥陀仏」の六字名号が刻まれ、高さ83㎝、幅22㎝、材質は旧笠懸町天神山産の凝灰岩である。
名号角塔婆とは、六字名号を刻む浄土信仰に基づく供養塔であり、鎌倉御家人・薗田成家と関わりの深い太田市北東部から大間々町にかけての限定された地域で建立されています。
他の名号角塔婆や分布から、鎌倉時代から南北朝時代にかけて、薗田氏、あるいは薗田氏と関係の深い人物によって建立されたものと推定されています。
薗田成家という人物は、薗田御厨(現在の太田市毛里田地区から桐生市広沢地区)の御厨司であり、正治2年(1200)、鎌倉御家人の所役である京都大番役(京都内裏の警護役)として上洛。その際、浄土宗の開祖である法然上人に帰依しています。
元久2年(1205)、帰国すると、須永御厨の小倉(現在の桐生市川内町付近)に庵を結び、宝治2年(1248)に没するまでの間、浄土宗を布教したという。
地域信仰を研究する上で、このような石造物は欠かすことのできない史跡です。風化による劣化が激しいことから、雨風を防ぐケース内に保存されています。
惜しむらくは、日本三大栄螺堂・曹源寺を参拝する方の多くが、こうしたものには目を向けていないこと💦💦
せっかくですから、こちらにも足を止めて下さいませぇ(^^♪
「祥寿山 曹源寺 栄螺堂」の記事はこちら
( 参考資料 )
現地配布パンフレット
現地案内板