うるち米で出来た餅の中に、甘さを抑えたこし餡が入った小判型の和菓子。
「志んこ餅」の歴史は古く、明治時代の温泉案内にも紹介されているが、松之山には
「志んこ餅」に関する伝説も残されている。
永正4年(1507)、孫六夫婦が村山多左衛門から珍しいあん餅を3個もらった。
1個ずつ食べたが残る1個をどうするかで争いになった。その結果、最後までしゃべら
ない方が食べても良いという約束をした。
夜中に孫六の家に泥棒が侵入した。それでも夫婦は無言でいたが、乱暴されそうにな
った妻がとうとう声を出した。泥棒が逃げ出したのを見た夫は、この餅は俺のものだと
言って食べてしまった。妻はそれを見て大喧嘩となった。
そこへ大徳で有名な松陰寺の和尚が通りがかって仔細を聞き、夫婦に仏道の心理を諭
した。夫婦が餅の因縁で信者となったので、真粉餅というようになったという。
また伝承では、天水島の与市兵衛が明治時代から作り始め、その後、天水越の林・桶
屋(屋号)が作り方を受け継いだという。
太平洋戦争が激化した昭和18~19年(1943~44)頃には原料である砂糖や
米が不足したことから生産が中断したが、戦後、二軒の業者が「志んこ餅」作りを復活
させている。
昭和43年(1968)、柏餅型の笹包みの形状であったものを現在の形にしたとさ
れる。
現在、「志んこ餅」は「十一屋」、「まるたか」、「小島屋製菓店」で製造販売され
ており、お店ごと個性ある「志んこ餅」ですので食べ比べも良いかもしれません。