【 唐招提寺 経蔵 】
礼堂の東側、宝蔵と並び建つ南側の建物が「経蔵」。桁行三間、梁間三間、寄棟造本
瓦葺、高床式校倉様式の建物である。
唐招提寺創建以前は天武天皇の第七皇子・新田部親王の邸宅であり、天平7年(73
5)新田部親王没後、その子である道祖王・塩焼王は天平宝字元年(757)、橘奈良
麻呂の変などの度重なる政変に巻き込まれ、道祖王は非業の死を遂げ、邸宅は没収され
ました。
そんな新田部親王邸の米蔵を転用し、唐招提寺経蔵となりました。当初は切妻造であ
ったが昭和の大修理の際に天平時代の姿に復元されました。
校倉造の国宝建造物は、東大寺正倉院・東大寺本坊経庫、そして唐招提寺宝蔵と経蔵
の4軒のみであることから、唐招提寺境内散策の際には必見の建造物!!
外観のみですから物足りなさもあるのかもしれません💦がっ、唐招提寺に現存する最
古の建造物ですからぁ(^^♪
(参考資料)
現地配付パンフレット