【 塩井 】
旧北佐久郡誌には、『塩沢は大井の庄、塩沢郷と称し、塩沢の村名は「塩の井」によ
るとあるが、本村湧水すべて塩味あり』とある。この「塩井」が「塩沢」という地名発
生の源になったのではないかと伝えられている。
しかしながら、この湧水に特に塩化ナトリウムが多く含まれているという科学的分析
結果はない。
宝暦8年(1759)に著された『芦田八ヶ略誌』には、塩沢には「三ッの井戸在
り・日井戸・馬井戸・塩井戸なり」とある。
また『村田文書』には、「塩沢ヲ本郷ト申スハ塩原ノ古跡アルニ始マリ本佐久ニテハ
西牧ト曰ク塩原望月ノ牧ニ源頼朝公御代ニ塩川ノ牧モ加ワル、寿永元年(1182)三
民有リ川崎文蔵・玉井軍内・塩沢平弥ナリ、是迄ハ塩川ノ牧小沼郷ト言フ」とあり、こ
の辺一帯が牧場であり、周辺の湧水に馬飼育用の塩をを置いたことから「周辺の水がす
べて塩味あり」と云ったものと推察される。
「塩井」周辺からは五輪塔が多く出土しており、井戸側には弁才天を祀る祠があるこ
とから、由緒ある井戸であることは間違いない。
立科町指定史跡「塩井」。立派な佇まいのお宅前にある井戸である。塩沢という地名
の由来とされる井戸であり、地域の誇りとして、これからも地域の人々に愛されてもら
いたい文化財である。
(参考資料)
現地案内板