【 慈海僧正墓 】
墓石正面中央に、聖観音菩薩像を彫り、右側には「当山学頭第四世贈大僧正慈海」、
左側に「山門西塔執行宝園院住持仙波喜多院第三世」、背面に「元禄六年癸酉二月十六
日寂」と刻まれている。
墓は当初、凌雲院内にあったが、昭和33年(1958)、東京文化会館建設に伴い
寛永寺境内に移設されている。
さて、慈海僧正は学徳をもって知られた天台宗の高僧であり、寛永元年(162
4)、目黒で生誕。東叡山護国院、目黒不動、比叡山西塔宝園院、川越仙波喜多院を経
て東叡山凌雲院に入った。
東叡山は寛永寺の山号であり、代表する学頭は凌雲院住職が就任することを慣例とし
ており、学頭は寛永寺門主・輪王寺宮の名代を務め得る唯一の有資格者であるとともに
輪王寺宮や学僧の学問上の師であった。
慈海僧正は、慈海版『法華経』『薬師経』の翻刻、『四教義算注』『標指鈔』三十巻
を著したことでも知られています。
元禄6年(1693)、70歳で入寂し、没後、公弁法親王の奏請によって大僧正位
が贈られた。
それにしても見事な聖観音菩薩像である。覆屋もないのに風化していないように思わ
れる。寛永寺によってしっかりと保存されているのだろう。
石造物研究を志す方々は、寛永寺境内の石造物は必見ですぞ(^^♪
(参考資料)
現地案内板