日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

興福寺宝蔵院跡(奈良県奈良市)

 

  【 興福寺宝蔵院跡 】

 

           所在地: 奈良市登大路町50

 

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 宝蔵院は興福寺の子院の一つとして、法相宗の基礎を築いた義淵僧正の私坊がはじま

りとされる。

 

 室町時代末期、興福寺の僧であった宝蔵院禅房胤栄は、槍の達人として知られる大膳

大夫盛忠から槍術の基礎を学び、柳生丹波守宗厳と共に上泉伊勢守信綱から刀術も習得

し、十文字槍を工夫して宝蔵院流槍術を創始した。

 

 宝蔵院槍術は、通常の素槍に対して鎌槍と称した十文字方の穂先に特徴があり、「突

けば槍 薙げば薙刀 引けば鎌 とにもかくにも外れあらまし」と詠まれている。その

後、禅房の高弟であった中村直政、高田又兵衛吉次に継承され、江戸時代には江戸の道

場で広められ、世に知られるようになり、多くの宝蔵院流師範を輩出している。

 

 明治時代以降、多くの流派は途絶え、現在では宝蔵院流高田派の流れを汲む一派のみ

となっています。

 

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 さて、話を宝蔵院に戻しましょう。

 

 宝蔵院は中近世も存続しており、興福寺境内の一角にありましたが、嘉永2年(18

49)10月22日、奈良奉行川路聖謨「寧府紀事」には、囲いに囲まれ、院内で稽

古に励む人々の姿が記述され、寺院の子院ではなく稽古場として活発だったようです。

 

 明治元年(1868)、廃仏毀釈によって取り壊され、現在は奈良国立博物館旧館前

の石碑が在りし日を物語るのみです。

 

 

 奈良公園奈良国立博物館興福寺を訪れる人の何人が「興福寺宝蔵院」がかつて存

在していたことを知っているのでしょうね💦槍術の達人として、戦国時代にその名を知

られた宝蔵院胤栄。この人も全国的にメジャーではないのかなぁ?

 

 石碑がポツンと佇むのみですが、是非こうした史跡に目を止めて欲しいと思います。

 

 (参考資料)

   現地建立石碑碑文