【 長坂家住宅 】
所在地: 白山市白峰リ30 石川県立白山ろく民俗資料館内
入母屋造茅葺三階建。梁間四間、桁行七間半。玄関水屋下屋 奥仏間付。
長坂家は江戸後期から大杉谷川上流の白峰苛原地内で、養蚕と農耕のかたわら、鉱山
経営や木材業、製炭業、山葵(ワサビ)栽培、杉の植林などを行ってきた永住出作り農
家であった。
「出作り」とは、白山ろくは耕地が狭いため、集落から離れた山中に住居を建てて農
業や養蚕・炭焼に従事する独特の生活様式で、戦後の高度経済成長期に衰退していま
す。
長坂家の先祖は今保兼光と名乗る刀鍛冶であり、長坂家初代は今保与次郎。与次郎が
白峰に入った江戸時代後期に最初の住居を建てたが、明治4年(1871)火事で焼失
し、明治5年(1872)に「旧長坂家住宅」は再建されています。
二代・今保与三郎の時、白峰・林西寺住職のすすめで長坂へと改姓している。与三郎
は明治10年代に苛原鉱山を経営し、住居周辺で薪・炭を使用し精錬作業をおこなった
ため、有毒ガス・煙害が樹木に及び枯死や大量落葉がおきたと伝わります。
苛原鉱山では銅・銀・鉛を産出し、長坂家が鉱石選別を行っていました。明治16年
(1883)、経営不振で廃業し、所有山林40町歩を売却しています。
建物の特徴として、簡素な造りが多い出作り民家のなかでは堅牢な構造となっている
ことである。また壁にツカセ(斜めに栗の丸太が立掛けられている)があることも特徴
です。ツカセは強風による家の倒壊防止でしたが、暴風の際にはヌケゴヤ(避難小屋)
に逃げ込んでいたとされます。
石川県立白山ろく民俗資料館。素晴らしい資料館です!!
白山ろく特有の民家の数々。一軒一軒ゆっくり見ていれば半日はかかるでしょう。
この風景。古き良き時代の日本を感じられないでしょうか?
(参考資料)
白山麓民家の見方・楽しみ方 石川県立白山ろく民俗資料館
現地配付パンフレット
現地案内板