【 永井神社 】
所在地: 高槻市野見町6-6 野見神社境内
寛政5年(1793)、高槻藩主・永井直進が高槻藩永井家初代・直清を祭神として
創建した。
直清は徳川譜代・永井直勝の子であり、徳川秀忠の御小姓・御書院番を務め、慶安2
年(1649)、山城国長岡藩2万石(勝竜寺城主)から1万6千石加増の上、高槻藩
に移封された人物である。
京都所司代代理、大坂城代代理など歴任し、禁裏造営奉行・大坂城普請を務めるなど
幕府の信任が厚い人物であったと同時に、高槻藩主として番田井路開削による新田開発
や伊勢姫・能因法師らの顕彰など文化政策の強化に努めた人物として知られている。
嘉永元年(1848)、直清の高槻入城200年を記念し、11代藩主・永井直輝が
社殿を修復し、あわせて唐門・拝所を造立している。
一部ホームページでは、この唐門を高槻城移築城門と記しているものが散見される
が、城門であったという事実はないので注意が必要である。
平成22年(2010)、高槻市文化財補助事業として唐門の小屋組補修および屋根
葺替、透塀解体補修が実施され、基礎部分などの構造補強も行われています。
野見神社の摂社である「永井神社」ですが・・・、この唐門の見事なこと。
そのせいもあってか?肝心の「野見神社」の撮影を忘れるという大失態💦💦 「今城
塚古墳」の踏査も不完全でしたから、高槻再訪も考えなければと思っています(+_+)
(参考資料)
現地案内板