【 細川晴元の墓 】
所在地: 高槻市富田町4-10-10 普門寺境内
室町幕府第34代管領であり、内訌状態の細川京兆家を良く纏めて家臣・三好長慶と
ともに政権を樹立した細川晴元であったが、次第に長慶と対立💦💦
勢力を拡大し、三好政権を樹立した長慶の前に、永禄4年(1561)、晴元は細川
晴之を細川家当主に見立て、近江守護・六角義賢と河内守護・畠山高政とともに挙兵!
しかし、三好勢の前に細川晴之は討死💦💦晴元は長慶と和睦するが、摂津・普門寺
に幽閉されてしまう。
長慶は普門寺の復興とともに、晴元の監視のために普門寺周囲に土塁や堀を築き、芥
川山城の支城としての機能を強化したうえで晴元を幽閉している。
そして永禄6年(1563)3月、晴元は失意のうちに普門寺で没する。享年50。
細川晴元の墓は宝篋印塔であり、一部欠損部を補修してある。戒名「龍昇院殿前右京
兆心月清公大居士」と刻まれた追善供養の宝篋印塔で、隅飾りの形から室町期のものと
思われ、補修部は後期桃山期のものと推察される。
「安満遺跡」、「今城塚古墳」、「新池埴輪窯遺跡」など見どころ満載の高槻市です
が・・・、今回御紹介した「細川晴元の墓」がある「普門寺」も必見の地です(^^♪
御朱印収集で訪れるも良し、城館跡として訪れるも良しの古刹です。そんな「普門
寺」は別トピとして後日💦更新したいと思います(+_+)
(参考資料)
現地配付パンフレット