日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

令和4年度 第2回現地踏査『これからの文化財保護と活用を考える -高槻市踏査を例として-』 二日目 その3

 

 既に当初の目的地には足を踏み入れています。そう。高槻領主といえば・・・高山右

近重友。

 

 

 その居城であった・・・、

 

 

 🔵  高槻城跡              高槻市城内町

 

  文献上の初見は、大永7年(1527)、桂川原の戦いの際、波多野元清に敗れた

  薬師寺国長が逃亡したという記録である。

 

  元亀4年(1573)、高山友照・重友父子が城主となり、その治世下で教会が建

  設されるなど活発なキリスト教布教が行われた。

 

  慶安2年(1649)、永井直清が高槻に入封されると、以後永井氏が13代に亘  

  り幕末まで統治している。

 

 城址公園として整備されており、市民の憩いの場となっているようだ。

 

 池には・・・無数の亀・亀・亀💦💦💦おそらくペットなどで購入された亀が池に捨

 てられ、大繁殖した結果であろう。ここにも生態系の破壊の一端が見られ、今後の課

 題であろう(>_<)

 

        ( 高槻城三の丸にわずかに残る土塁 )

 

 時間はようやく10時を迎えようとしていた。この10時という時間が重要!!

 

 

 🔵 旧笹井家住宅(高槻市立歴史民俗資料館)   高槻市城内町

 

  安永年間(1772~1781)、干物屋を開業した笹井家の住宅兼商家として建

  設された。

 

  昭和57年(1982)、高槻市立歴史民俗資料館として移築復元されています。

 

 

 10時の開館なので、それまで高槻城下をゆっくり散策していたのです。古民家は外

観だけでなく、内部構造などはしっかり見学したいですからね(^^♪

 

 さて、ここからは時間との勝負開始。夕方には予定を完遂しなければなりません。次

の目的地に向かいつつ・・・、

 

 

 🔵  高槻藩藩校「箐莪堂」跡         高槻市城内町

 

  高槻藩第9代藩主・永井直進が設立した藩校跡。

 

  後に購入した『文化財をめぐる 高槻 まちかど遺産』には石碑が建っている(道か

  らは文字は見えない💦)とありますが・・・どこにあったんだろう?

 

 このように「高槻 まちかど遺産」の案内プレートは本当に至る所にあります。

 

                               その4 に続く