既に当初の目的地には足を踏み入れています。そう。高槻領主といえば・・・高山右
近重友。
その居城であった・・・、
文献上の初見は、大永7年(1527)、桂川原の戦いの際、波多野元清に敗れた
薬師寺国長が逃亡したという記録である。
元亀4年(1573)、高山友照・重友父子が城主となり、その治世下で教会が建
設されるなど活発なキリスト教布教が行われた。
慶安2年(1649)、永井直清が高槻に入封されると、以後永井氏が13代に亘
り幕末まで統治している。
城址公園として整備されており、市民の憩いの場となっているようだ。
池には・・・無数の亀・亀・亀💦💦💦おそらくペットなどで購入された亀が池に捨
てられ、大繁殖した結果であろう。ここにも生態系の破壊の一端が見られ、今後の課
題であろう(>_<)
( 高槻城三の丸にわずかに残る土塁 )
時間はようやく10時を迎えようとしていた。この10時という時間が重要!!
安永年間(1772~1781)、干物屋を開業した笹井家の住宅兼商家として建
設された。
昭和57年(1982)、高槻市立歴史民俗資料館として移築復元されています。
10時の開館なので、それまで高槻城下をゆっくり散策していたのです。古民家は外
観だけでなく、内部構造などはしっかり見学したいですからね(^^♪
さて、ここからは時間との勝負開始。夕方には予定を完遂しなければなりません。次
の目的地に向かいつつ・・・、
高槻藩第9代藩主・永井直進が設立した藩校跡。
後に購入した『文化財をめぐる 高槻 まちかど遺産』には石碑が建っている(道か
らは文字は見えない💦)とありますが・・・どこにあったんだろう?
このように「高槻 まちかど遺産」の案内プレートは本当に至る所にあります。
その4 に続く