日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

影向寺(神奈川県川崎市宮前区)

 

  【 影向寺

 

           所在地: 川崎市宮前区野川本町3-4-4

 

 

 稲毛七薬師 第2番札所、多摩七薬師霊場 第2番札所、都築橘樹酉年地蔵尊霊場 第1

7番札所。

 

 正式には「威徳山 影向寺」といい、遺物もほとんど残存していないものの関東の正倉

院とも称される関東屈指の古刹で、稲毛薬師とも、万治3年(1660)梵鐘名から榮

興寺とも、『新編武蔵風土記稿』から養光寺とも呼ばれる。

 

 

 寺史に関しては文献史料に乏しく、創建当初から近世に至るまで判然としていない

が、宝永7年(1710)撰述された『影向寺縁起』によれば、聖武天皇の勅願により

行基菩薩によって創建されたという。

 

 しかしながら、近年の発掘調査によって境内から出土した軒丸瓦の様式等から、創建

は7世紀末に遡ると推察され、大規模寺院ではなく在地を統治した有力豪族の私的な仏

堂であったと考えられている。

 

 その後、この地に武蔵国橘樹郡衙が設置されると、その郡寺として位置づけられ、金

堂が拡大整備され、三重塔も建造されたと推察されている。

 

 平安時代には天台宗寺院となり、中世には深大寺との関係を深め、庇護者を失ってい

影向寺深大寺との関係を利用して伽藍再興の勧請が行われたようで、応永22年

(1415)頃には旧金堂を廃して、密教本堂様式の本堂が建立されている。

 

 元禄7年(1694)、劣化・損傷の激しくなった本堂の再建が行われており、江戸

後期には『江戸名所図会』に稲毛薬師堂として紹介されています。

 

 

 平成元年(1989)には本堂の半解体修理工事が行われ、それに伴う発掘調査が実施され、多くの知見が得られているが・・・これに関しては「影向寺遺跡(橘樹官衙

跡群)」として後日紹介したいと思います。

 

 また札所であったのですが、踏査当日は酷暑で御朱印をもらうことを失念しておりま

した💦💦再踏査の機会がありましたら、貰ってこようと思います。

 

 (参考資料)

   現地案内板