年が明けた元日、コトンという音。ポストを見ると・・・年賀状の束が。
そんな風物詩は、携帯電話の普及とともにメール✉、LINE。そしてSNSの普及によって年々減少の一途を辿ってきた。
たしかにメール✉やLINE、SNSでの「あけおめ」って早いし、お手軽である。その一方、消去してしまったら(またはその後のメッセージの過多によっては)「あけおめ」という言葉は当然ながら見れなくなってしまう。
また関係が希薄になってしまうと、そんな年に1度の交流すら失われてしまう。そして、いずれ記憶からも・・・。
年賀状にもそのような一面がある。長年会うこともないと年賀状という儀礼さえ「しなくていいか」という気になり、交流は失われる。
だが、年賀状を捨てない限りは記憶を呼び起こすことができるという長所があるようにも思う。
大学時代、学生団体に所属していた某は、それこそ名刺を交わした学友たちへの年賀状を送っていた。
あれから数十年・・・卒業して数年は交わしていた年賀状は年を経るとともに送ることも無くなった。当時の学友たちも結婚し、住所が変わったりしていることであろう。
が、当時の年賀状を見ると・・・当時の思い出が鮮明に思い出される。
こう考えると、メール✉やLINE、SNSにはない心の交流=年賀状。たとえ1年に1度きりであっても送ることが自分の人生の豊かさになるんじゃないかなぁと感じる。
皆さんは、「年賀状」どうしますか?
かくいう私は・・・当然元日ポストに届くよう25日までに出します(^^♪