【 恩田木工翁邸址 】
恩田木工民親は江戸時代中期の松代藩真田家家老(知行高1,000石)として知られる人物である。
この頃の松代藩の財政は、江戸幕府に命じられた御手伝普請助役などによって困窮し、かなりの財政難に喘いでいた💦
宝暦7年(1757)、第6代藩主・真田幸弘によって、勝手方御用兼帯に任じられ、藩政改革を任された。幸弘は「国元の政道は心一杯に」と民親に全権を委任した上で、家老以下藩士に民親に従う旨の誓詞を提出させている。
一方、民親も「虚言申すまじく候」「申したること再び変更致さず候」と自らを律し、藩士のみならず領民にも直接面談して、藩政改革を進める配慮を行っており、現在の政治家にも見習って欲しい人物である!!
質素倹約を励行し、贈収賄を禁止、不公平な民政の防止など綱紀粛正に取り組み、年貢の前納・御用金賦課の廃止、貢租怠納を清算した上で、年貢上納を容易にする月割上納制を導入している。
また山野・荒地の新規開墾・殖産興業(養蚕奨励したことでも知られています)に努めたほか、宝暦8年(1758)、藩校・文学館を開き、文武の鍛錬を奨励した。
民親のこうした取り組みは、結果として逼迫した藩財政を立て直すまでには至らなかった。しかし、公正な政治姿勢や文武奨励は藩士や領民の意識改革に繋がったと評価されている。
宝暦12年(1762)正月、46才という若さで病死するが、民親の志は藩主・幸弘たちにしっかりと受け継がれ、その後、松代藩士・馬場正方によって記されたとされつ『日暮硯』に仁政が讃えられています。
また池波正太郎は『真田騒動 ー恩田木工ー』という短編小説で民親を描いています。
松代城下を散策する方は多く、松代城跡・真田邸・真田宝物館等々を訪れることかと思います。
がっ、なかなかこうした石碑に目を止める方は居ないような気が・・・💦💦
紹介しているHPや本📚もあまりないこともあるでしょうが・・・💦💦
折角ですから、城下町をぶらぶら散策された時にはこうしたちょっとしたものに目を止めては如何でしょうか?そこにはその地の歴史が残されていますから(^^♪
(参考資料)
遊学城下町 信州松代 夢空間めぐり NPO法人 夢空間 松代のまちと心を育てる会
現地案内板