【 玉村町第15号古墳 】
もともと「玉村町第15号古墳」は大字角渕2762に所在しており、昭和10年
(1935)に調査編纂された『上毛古墳綜覧』の中で名付けられています。
戦後、農林水産省の農業構造改善パイロット地区に指定されて以降、玉村町では土地
基盤整備事業が行われ、昭和41年(1966)以降、角渕地区も整備対象となったこ
とで、古墳の保存が問題となっていた。
昭和41年12月19日から29日の10日間、群馬大学教育学部史学第2研究室の
尾崎喜左雄教授によって発掘調査が実施されています。
調査の結果、直径約12mの円墳であり、南西に開口した無袖型横穴式石室で、玄室
長3.3m、玄室幅1.5~1.8m。羨道長2.4m、羨道幅1.2~1.5m。
石材には、6世紀中頃に噴火した榛名山二ッ岳から産出した角閃石安山岩が使用さ
れ、3面ないし5面を削り交互に積んでいく互目積が採用されている。また四隅には1
石をL字状に成形し組み込むなど、高度な技術も用いられている。
玄室側壁下には小礫と砂による排水の工夫も見られ、当時の土木技術の高さが見て取れる。
石室は盗掘や破壊を受けており、鉄鏃片6、刀子片1が出土し、墳丘からは円筒埴
輪・須恵器片が出土しました。
遺物や石室の特徴から6世紀後半に築造されたものと推定されています。
「玉村町第15号古墳」は石室が比較的良好に残存しており、玉村地区における6世
紀後半の特徴がみられることから、昭和42年(1967)、玉村町中央公民館の一角
に移築復元されましたが、平成19年(2007)、中央公民館取り壊しに伴い、玉村
町文化センターに移築されました。
破壊される運命であった「玉村町第15号古墳」であるが、幸運にも移築復元される
こととなった。こうしたことは非常に稀有なことであることを理解しておきたい。
貴重な文化遺産としてこれからも保存活用していくことが望まれます(^^♪
(参考資料)
現地案内板