日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

小松城跡(石川県小松市)

 

   【 小松城跡 】                             評価 ★★★

 

        別  名:    芦城 小松の浮城

     所  在  地:     小松市丸の内町

     築城年代:     天正4年(1576)

     築  城  者:                 若林長門

     区  分:                     平 城

     現  状: 石川県立小松高等学校・芦城公園

 

               ( 本丸櫓台石垣 )

 

 天正4年(1576)、加賀一向一揆衆の若林長門守によって築かれたとされる。

 

 天正7年(1579)、織田信長配下の北陸軍団長・柴田勝家によって攻略されて落

城🔥

 

 天正8年(1580)、織田信長家臣・村上義明が城主に任命されている。

 

 慶長3年(1598)、村上義明に替って、丹羽長重が入城するが、慶長5年(16

00)、関ケ原の戦いにおいて西軍に与した丹羽長重は転封となり、東軍に与した前田

利長の所領に組み込まれることとなった。利長は城代として義兄の前田長種を配してい

る。

 

 元和元年(1615)、一国一城令によって廃城となるも、寛永16年(163

9)、加賀前田家三代・前田利常は、幕府の許可を得て小松城を隠居城とし、全国から

名工を集めて御殿や茶室、石垣や縄張を再構築するなど大改修を行い、改修は利常が没

する万治元年(1658)まで続いた。

 

 その後、加賀藩城番が置かれ維持され、明治5年(1872)まで存続している。

 

 余談ではあるが、朝倉義景明智光秀に対し「要害はどこか?」と尋ねられた際、

「加賀にては小松あたり」と答えたと『明智軍記』に見られる。同様の記載は『小松軍

記』にも見られ、小松が要害の地であったことが窺える。

 

 

 本丸櫓台石垣は、石川県立小松高等学校敷地内にあるが、見学用の園路、パイプ階段

も設置されており、配慮されている。

 

 今回は時間の関係で芦城公園等を訪問出来なかったが、櫓台から見る白山麓は良い感

じでした(^^♪

 

 

 (参考資料)

    現地案内板