日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

石青山 大聖寺 威徳院(埼玉県比企郡小川町)

 

  【 石青山 大聖寺 威徳院 】

 

  所在地: 比企郡小川町下里1857

 

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                   ( 観音堂

 

 暦応3年(1340)、鎌倉幕府滅亡によってこの地に落ち延びた平(源)貞義が希融法印を招し創建されたという。

 

 大聖寺は下里観音と敬称される天台宗の古刹であり、如意輪観世音菩薩を本尊とする。寺伝によれば、定朝作とされるが造仏年代は明らかではない。

 古伝では、京の都に奉安され、源頼政公夫人の尊崇厚く、霊験あらたかであったため、女人の信仰を集めていた。仏縁あって、京から秩父路に向かう途中、当所金山沢あたりで休息された。さて、出発しようとしたところ、尊像は寸歩も動かなくなった。人々は仏刹の不思議を感じて、大聖寺に安置し本尊としたという。

 

 天正年間(1573~1592)、戦乱の世の兵火🔥のために伽藍は焼失し、その後寺運は衰微してしまう。

 

 しかし、寛延年間(1748~1751)、第二十六世・賢恵上人によって中興され、さらに寛政年間(1789~1801)、第二十八世・智慶上人、嘉永2年(1849)第三十三世・智恩上人は諸国を行脚し、堂宇の再建に尽力している。

 

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 さて、この大聖寺。国指定重要文化財「石造法華経供養塔」・「板碑」が存在していることから訪れる価値が高い寺院である。

 

 石造法華経供養塔であるが、康永3年(1344)銘阿弥陀一尊種子六角塔婆であり、下里産緑泥石片岩の板石を四角い台石上に六枚立てて六角憧身として、その上に笠石を載せ、中央には宝珠(現在は紛失してしまっている)を置いたもの。

 紀年銘の解る六角塔婆中最古のものであり、大変貴重なものである。

 

 板碑は康永3年(1344)銘で詳細な造立の趣旨が彫られていることから貴重なものである。

 

 

 この二つの考古資料が物語ることは、鎌倉幕府滅亡の上で討死した鎌倉幕府方の武将を供養したものということ。

 主君の十三回忌を迎え、今は亡き主君の供養のため家臣が結集して建立されたものなんです(^^♪

 

 大聖寺法華院内に安置されており、拝観は¥200。一見の価値ありですよ(^^♪

 残念ながら、撮影禁止ということで小川町HPをご覧いただければと思います。

 

    小川町公式HP  http://www.town.ogawa.saitama.jp/0000000247.html

 

 (参考資料)

    小川町の文化財           小川町教育委員会

    大聖寺略縁起(石造法華経供養塔 拝観の際に頂けるもの)

    現地案内板