日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

御影陣屋跡(長野県小諸市)

 

  【 御影陣屋跡 】      評価 ★

 

   別  名:

   所  在  地: 小諸市御影新田字屋敷894

   築城年代:  元禄12年(1699)

   築  城  者:         江戸幕府

   区     分:      陣 屋

   現  状:      御影陣屋史跡公園

 

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         ( 史跡公園とはいってもグラウンドである )

 

 幕府直轄領(天領)支配のため、天和2年(1682)、平賀村(現在の佐久市平賀)に陣屋が設置され、佐久・小県郡八十七ヶ村・3万石余を支配した。

 以後佐久郡内を変転する中、元禄12年(1699)、臨時の陣屋として構えられたようである。この時の代官には、高谷盛直が任命されている。

 

 享保5年(1720)、一時廃止されるも、寛延2年(1749)、飯島陣屋の出張陣屋として再設置され、嶋三郎左衛門豊勝が代官として就任している。

 この時、御影新田開発人である柏木小右衛門の屋敷内に陣屋は設置され、建設費用は30両であったという。

 

 文政8年(1825)、中之条陣屋の出張陣屋に移管されたことにより、文政10年(1827)、御影陣屋を廃止して中之条陣屋支配下に編成されるとの風聞が立ったことから、柏木小右衛門らは江戸に上がり、御影陣屋存続を勘定奉行に願い出ている。

 

 柏木小右衛門らの願いが聞き届けられたのかは定かではないが、御影陣屋は慶応4年(1868)の明治維新によって廃止されるまで存続しています。

 

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         (  陣屋の一角に建つ「陣屋稲荷」 )

 

 御影陣屋代官は江戸幕府勘定奉行の下に属し、江戸常在(江戸詰)であった。年に1,2回任地に赴き、現地常駐する手附・手代(収税や雑務を掌る小吏)を監督するだけであった。

 手附・手代も幕臣が任命されるのが常であり、普段の天領支配は実質彼らが行っていました。

 陣屋は支配役人四名と追分宿貫目改所詰一名で運営され、年貢の徴収・出納、戸籍管理、土木工事・整備、裁判・村々の監視といった任務に当たっています。

 

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         ( 木製の城址碑があるのは有難い限り )

 

 (参考資料)

   徳川幕府領の形成と展開       和泉清司      同成社

   現地案内板