【 新町諏訪神社本殿及び御宝石 】
所在地: 高崎市あら町85-1
慶長4年(1599)、井伊直政が箕輪城下町に鎮座していた下ノ社を高崎城下町の
町割りをした際に勧請したのが始まりとされます。
享保14年(1729)、高崎城下の火災によって社殿は焼失💦
さらに再建後の文化4年(1807)にも火災で焼失し、文化10年(1813)頃
に再々建されました。この時に焼け残った部材を一部再利用しており、立派な彫刻が施
された内陣の扉に火災の痕跡が認められます。
一間社、入母屋造で向拝の上に千鳥破風がついている。銅瓦棒葺き、総欅造の建物で、総高4.57m、桁行2.11m、梁間1.58m。
防火対策として外壁は総漆喰の塗籠造で、本屋根と裳階の間には七賢人の手の込んだ
漆喰彫刻が施されている。
内陣の扉、欄間、鳥居にも見事な彫刻がみられ、裳階の外壁の下半は海鼠壁になって
います。
『高崎志』によると、御宝石は重さ2貫700匁(8.125㌔)の鶏卵型で、台座の
重さは30貫400匁とある。この台座は中世の宝篋印塔屋蓋を裏返しにして、耳を四
足とし中央の凹みに宝石が安置されています。
享和2年(1802)、蜀山人が中山道を通り江戸までの旅を綴った紀行文「壬戌紀行ー木曽の麻衣」の中に、高崎宿の記述が見られ「諏訪大明神の社はちいさき土蔵づく
り」とある。
(参考資料)