江戸時代、延岡藩内藤家の下級藩士の妻たちの手内職として始められたとされるが、
諸説あります。
① ニニギノミコトが高天原に降臨した際、猿田彦は武将として功績を挙げましたが、
その後も粗暴な振る舞いが治らず、アマノウズメノミコトに悪戯したのを諫めるた
め、ニニギノミコトが猿田彦を縛り竹竿の先に吊るした神話に由来する説
② 延岡藩旧藩主の有馬氏が合戦の折に、背に負った馬印に猿を用い、勝利を得たこと
に由来する説
③ 田畑を荒らす猿を退治したところ子供の疫病が流行り、猿の祟りと考えた人々が庭
先に昇り猿を立て供養したところ、疫病は治まり人々は豊作と健康を喜び合ったと
いう昔話に由来する説
安永2年(1773)刊行された玩具絵本で、北尾重政画『江都二色』にも描かれて
おり、この時期には広く世に知られていたことがわかる。
端午の節句に飾られ、頭に烏帽子、背に御幣と太鼓を背負った張り子の猿で、手に竹
の輪を持ち、これに棹が通されて幟に吊るされる、風で幟が膨らむと、猿が棹を上下す
る仕掛けである。
本来は屋外に飾られ季節の風物詩であり、子供の立身出世、無病息災、五穀豊穣を願
った。
昭和43年(1968)の年賀切手の図案にも採用されている。
延岡市の郷土玩具として現在も製作されており、土産物として親しまれている郷土玩
具である。
(参考資料)
ふるさと玩具図鑑 井上重義 平凡社