【 白峰重要伝統的建造物群保存地区 】
所在地: 白山市白峰地内
手取川と大道谷川の合流部の狭い河岸段丘上に立地した白峰に人が住み始めるのは縄
文時代頃で、集落内の八坂神社に現存する仏像が鎌倉期のものであることから、鎌倉時
代にはムラがあったと推定されています。
戦国期に白峰を治めていたのは加藤藤兵衛で、越前平泉寺とともに白山山頂の社殿造
営や禅定道の管理を行っていた。
慶長6年(1601)、藤兵衛は越前国守より白山麓十六ヶ村を取り纏める大庄屋に
任命され、江戸時代初期には生活用水に恵まれなかった白峰に用水路を開削していま
す。
江戸時代には牛首村と呼ばれ、ヒエ・アワ、養蚕、明治期には生糸、ヒエ、繭の生産
が盛んで、一戸当たりの養蚕生産は全国屈指であった。
豊富な林業資源、白山信仰に伴う活発な経済活動もみられ、明治33年(1900)
の紀行文には「白峰は、製糸業が盛んで、警察分署、登記所、宿、料理店、雑貨店、飲
食店、呉服屋、芸妓、娼妓、消防の施設など様々な施設がある」と記されている。
白峰は山村であるにもかかわらず、建物が密集した景観を形成しており、江戸時代後
期には480の家が立ち並んでいた。黄土色の大壁と縦長の窓が特徴で、玄関の二階部
分には大背戸とよばれる出入口を設けていた。
石川県立白山ろく民俗資料館を訪れる前に立ち寄り、大庄屋山岸家住宅の外観とメイ
ンストリートを軽く散策したのみなので、改めてゆっくり散策してみたい地である。
(参考資料)
現地案内板