【 旧湯本家住宅 】
所在地: 吾妻郡中之条町赤岩
湯本家の祖は木曽義仲の家臣・望月御殿助と称した人物とされる。その娘が義仲の愛
妾であったという。
寿永3年(1184)、義仲が宇治川の戦いで敗れた際、娘が懐妊していたことか
ら、暇を貰い戦線を離脱。何とかこの地まで落ち延びたという。
建久4年(1193)、源頼朝がこの地で狩猟をすることとなった際、御殿助が案内
役に抜擢されることとなった。義仲家臣であったことから、身分を偽るために姓を細野
に改めている。その際に頼朝を草津温泉♨に案内したのだが、頼朝は草津の湯を大変気
に入り、湯本の姓とともに草津温泉の湯守の任、そして周辺を領地として御殿助に与え
たという。
その後、湯本氏は戦国時代には土豪として真田家に従い、多くの軍役に付き従ったこ
とが知られている。天正10年(1582)の武田滅亡時、あるいは延宝9年(168
1)の沼田真田氏改易の際に、一族の湯本長左衛門家が赤岩で帰農したと考えられてい
る。江戸時代には赤岩集落の名主を歴任し、医療にも関わった家柄であったことから、
蛮社の獄で投獄された高野長英とも交流があり、長英は湯本家を頼り身を匿ってもらっ
ている。
さて、「旧湯本家住宅」は切妻造、鉄板葺、妻入で正面に養蚕で大部屋を利用するこ
とから通路が前に張り出した特異な形状となっている。
享和3年(1803)、赤岩の大火🔥で焼失した後、文化3年(1806)頃に再建
されたもので、3階部分は明治30年(1897)に増改築されたものである。
木造3階建て土蔵造の建物は、壁土を厚く塗り上げた防火を意識した建物で、2階北
西隅に「長英の間」と称する部屋が残されている。なお御近所の湯本家一門の方の話で
は玄関の式台下に人ひとり隠れることのできる部屋?があり、そこで長英は湯本家を訪
ねてきた人を確認していたという。
「旧湯本家住宅」も今後の活用が注目される文化財であり、「中之条町六合赤岩伝統
的建造物群保存地区」の中核として期待される。
また近くにある「旧太子駅」も併せて古き良き時代の日本を味わってもらいたい。
(参考資料)
現地案内板