【 淀屋の屋敷跡 】
所在地: 大阪市中央区北浜4ー1
豊臣秀吉が伏見に在城していた頃、初代・淀屋常安が淀川の築堤工事を請け負ったこ
とで材木商として財を成した。
常安は伏見築城の際、巨石の撤去を格安で請け負い、本来ならば撤去すべきところを
大きな穴を掘り、そこに巨石を埋めるという斬新な手法を採ったことで秀吉から高い評
価を受けた逸話が残されている人物でもあります。
大坂の陣の際には徳川方に与し、大坂三郷の惣年寄にも任じられ、中之島の開拓に尽
力し、大坂商業の中心地を切り開いている。
この際にも常安は茶臼山を家康に献上し、戦後の遺体処理・武具回収を率先して行い
家康から高い評価を得ています。
二代目・淀屋个庵のときには、靭(現在の西区靭公園)に海産物市場を開き、また中
之島で西国諸藩の蔵米を取り扱う米市を開いた。さらに金融業・廻漕業を営むなど経営
の多角化を図り、巨万の富を築いている。
屋敷は百間四方(約33,000㎡)の広さを誇り、内装も当時珍重されていたガラス
を多用した豪奢な造りであったという。
しかし奢れるものは久しからず💦💦
宝永2年(1705)、五代目・淀屋辰五郎のとき、驕奢な生活は町民身分を超える
ものとされ、その上、訴訟のもつれで咎めを受けたこともあり、全財産没収の上で所払
いとなり没落している。
「淀屋の屋敷跡」という小さな石碑があるはずなのだが・・・どうやら写真後方のフ
ェンスに阻まれて発見出来ず(+_+)
まぁ、天下の台所・大坂の基礎を築き上げた淀屋の歴史を記すのには「淀屋の碑」で
もOKでっしゃろ💦
(参考資料)
現地案内板