【 元日本陸軍工兵第四聯隊跡 】
所在地: 高槻市城内町3-10
明治40年(1907)9月、師團増設による師管區の改正によって、工兵第四大隊
の京都からの移転が決定されると、各地で誘致運動が起こった。
衰退した高槻でも有志のものが元高槻城址の用地をまとめ上げて、土地を献納した結
果・・・、見事誘致に成功したのであった。
明治42年(1909)3月22日、兵営と練兵場が置かれ、昭和20年(194
5)の終戦まで工兵第四聯隊・中部第29部隊が駐屯地とした。
工兵第四聯隊・中部第29部隊は第四師団に所属し、日中戦争では中華民国北部、太
平洋戦争ではフィリピン方面に出兵。所属工兵の多くが戦場に消えている。
現在、跡地は高槻市立第一中学校となり、煉瓦造の営門、コンクリート造の哨兵所が
残されている。
ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエル・ガザ地区での紛争と過去の悲惨な戦争の
歴史を教訓としない出来事が続いている。今こそ、日本国内に残された戦争遺跡の保
護・活用について議論する必要があろう。
しかしながら、戦争遺跡が失われつつある昨今。先ずは「元日本陸軍工兵第四聯隊
跡」のように保存を進めることが重要であることに留意する必要があろう。
(参考資料)
現地案内板