妻入造瓦葺の三間堂として再建され、平安時代以来の一間四面堂の発展形の最終形式
で、床組や小屋組構造に村松在住の屋大工による独創性がみられるとともに、瓦葺屋根
もこの地域の最初期のものである。
再建時、後方二間を内陣、前方一間を吹放ちの外陣としている。
明治5年(1872)、学制頒布による昌後学校開設に伴い、内外陣境の結界を撤去
し一室空間に拡張し、観音信仰と教場としての二面性を有することとなった。
平成26年(2017)、青木村長期振興計画にともない、観音堂の改修が行われて
いる。
地域に残る有形文化財として、今後活用が図られる「村松久保観音堂」。
付近には「道の駅あおき」があり、史跡として「塚穴古墳」もあるので、是非併せて
見学してもらいたいものである。
(参考資料)
現地案内板