所在地: 杉並区荻窪2-25-1 中道寺境内
関東管領・上杉顕定の家臣である中田加賀守の守護神であったとされる稲荷大明神
が、大正年間(1912~1926)、中道寺境内に奉安されたという。
中田加賀守は横浜市港北区の矢上城を居城としていた人物であり、中田氏は扇谷上杉
家宰の太田氏家臣であったが、加賀守の代には小田原北条家臣として小机衆の1人とし
て活躍したが、天正18年(1590)、小田原北条氏滅亡の際に矢上で憤死し、保福
寺に葬られたとされる。
『武蔵風土記稿』によれば、子の藤左衛門は知行地であった川島村(現在の横浜市保
土ヶ谷区)の名主になったとされる。
中田氏の子孫は今なお連綿と続いており、守護神として大切に祀ってきたであろう
「明王稲荷大明神」がどのような経緯で中道寺境内に奉安されることとなったのかは定
かではない。
中田加賀守。城巡りをしていた?ので、後北条家臣としてその名は知っていたので、
荻窪踏査の際に「中道寺」境内に奉安されていた「明王稲荷大明神」を外すことが出来
なかった。何気なく祀られている祠にも歴史は感じられるものである。踏査の際に多少
気にしてみては如何だろうか。
大明神のほど近くには3体の石仏もあり、良い状態で保存されているので興味のある
方は是非見てもらいたい。
(参考資料)
現地案内板