日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

南橘村45号墳(群馬県前橋市)

 

  【 南橘村45号墳 】

 

            所在地: 前橋市下細井町

 

    ※ 現在、遺構は埋め戻されて表面上で確認は出来ませんので御了承下さい。

 

 

 令和3年(2021)、上細井中西部地区土地改良事業に伴う発掘調査が実施された

際に発見されたのが「南橘村45号墳」であり、調査区としてはD工区3区である。

 

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 昭和30年(1955)に刊行された『南橘村誌』に記載があり、昭和13年(19

38)に刊行された『上毛古墳綜覧』には、「南橘村45号墳は円墳で、規模は66

尺」と記載されています。

 

 南側に開口部をもつ横穴式石室で、推定20mほどの規模を有した円墳であり、周溝

や前庭部も確認されています。

 

 

 後世の耕作などもあり、墳丘や玄室は破壊されていましたが、羨道の石組み状態は比

較的良好に残されていました。

 

 

 石室に用いられた石材は赤城山もしくは榛名山産出の安山岩と思われまた出土した土

器(須恵器片)や埴輪が周溝から検出しないことから、古墳時代後期(7世紀)の築造

と推察されています。

 

 周溝からは、あえて折り曲げてから投棄された可能性の高い太刀。そして卵を逆さに

した形で8つの四角い透かしを持つ八窓鍔が出土しています。八窓鍔は表・裏・側面に

象嵌が施されていました。これらは周溝底部から出土しており、古墳が築造され間も

ないうちに投棄されたと推察されています。

 

 

 発掘前は畑地でしたが・・・露出した石室上部には石塔が設けられ、寛永通宝が5枚

ほど発見されたことから、江戸時代にも塚と認識されており、人々に祀られていたこと

が明らかとなっています。

 

 

 「南橘村45号墳」は残念ながら、発掘調査実施後は記録保存の上で破壊されてしま

いましたが、貴重な遺物は未来永劫、地域の宝として活用されていくことでしょう。

 

 表面上では遺構はないものの、こうした古墳がかつてあったのだと想像して、かの地

に足を運んでいただきたいと思います。

 

 (参考資料)

   上細井中西部遺跡群№4 発掘調査現地説明会資料