【 高井屋敷跡 】 評価 ★★
別 名:
所 在 地: 高崎市柴崎町字西浦
築城年代: 16世紀?
築 城 者: 高井氏
区 分: 屋 敷
現 状: 進雄神社
東西170m、南北100m。本郭は西北にあり東西80m×南北50m程度で、西側と北側には土居と堀を二重に巡らせ、防御を強化している。虎口は南を向いている。
16世紀頃に、地侍の高井氏によって築かれたという。高井氏は進雄神社の神官でもあり、戦国期に各地で見られる武装寺院ならぬ武装神社といったものを形成したのであろう。
群馬県内でも武装寺院の例は他にも見られ、辛科神社の神保氏や八幡宮なども武装した神社の好例である。
永禄9年(1566)、上杉謙信による越山の際には、高井左衛門が和田城主・和田業繁に属して和田城に籠城。上杉軍を撃退している。
進雄神社神官・高井氏は現在も連綿と歴史を繋いでおり、高崎市指定文化財「高井家文書」には、関東管領・上杉憲政や北条氏康・北条氏直・北条氏邦、和田業繁、武田勝頼重臣・跡部勝資といった名の知れた武将からの書状19通が伝わっている。
土塁・堀が残されており、市街地化した旧高崎市内でも遺構の残る城館跡として貴重である。
進雄神社としてもブログ更新したい物件ではあるのだが、訪問した時間は既に午後6時過ぎ💦
当然ながら御朱印はいただくことは出来なかった。
進雄神社は初詣で多くの人々で賑わう高崎市内でも著名な神社であるが…これまで御朱印はいただいたことがないので、改めてご紹介致しますm(__)m
(参考資料)
新編 高崎市史 資料編3 中世Ⅰ
現地案内板