【 推定東山道駅路 】
所在地: 太田市新田大町206ほか
五畿とは、大和・山背・摂津・河内・和泉の五ヶ国のこと。七道は東山道・東海道・北陸道・南海道・山陰道・山陽道・西海道のことである。
この五畿七道によって、律令国家の支配が全国に浸透するようになったといえる。
東山道は、奈良・平城京から近江・美濃・信濃・上野・下野・陸奥の多賀城まで通じる街道であった。
当時は主に軍事(蝦夷討伐・防人)・税務(租・調・庸など)を中央に運ぶ役人が往来した道であったと推察されています。
「推定東山道駅路」は新田町から旧境町まで延長8㎞以上にわたり一直線に造られたことが発掘調査によって明らかとなっています。
東山道公園として整備されている遺跡では、幅12mで両側に側溝を持つ大規模な遺構であった。公園内には約250mが保存されています。
その後の発掘調査によって、「推定東山道駅路」は約100年の間使用され、八世紀後半にはルートが変更されたことが明らかとなっているものの、その道駅は未だ発見されていません💦
さて、今回「推定東山道駅路」を紹介したのであるが…文化財保護と活用の難しさを示す一例であろう。
古代の道を保存整備することは出来ているのであるが、活用されてないだろうなぁ💦重要な遺跡の保存を求める地域住民は多いだろうが、その後どうなっているのか?気にする人は少ないだろう。ましてや、「この遺跡はね。」と子供たちを遺跡に連れてくる人は極めて少ないはずだ。
行政も案内板設置やHPで紹介すれば終了(まぁ、草刈くらいはするかな)。時には史跡巡りのルートとなったりはするだろうが、それも稀である。
その理由は…費用対効果であろう。文化財行政に対する予算は年々削減されてもいるし、費用対効果がないものは活用などされることはないのかもしれない。
そんな光の当たらぬ史跡であっても、世界遺産と同等の意義や価値があるということをこれからも微力ながらブログを通じて訴え、一人でもそうした史跡に足を運ぶきっかけを作りたいものである。
( 参考資料 )
現地案内板