【 村上鬼城の墓 】
慶応元年(1865)7月20日、鳥取藩士・小原平之進の長子として江戸藩邸で生まれた。
明治維新によって鳥取藩江戸藩邸は廃されることとなったためであろう、幼年時代に高崎に移り住み、生涯を高崎で過ごすこととなった。
明治28年(1895)、正岡子規と書簡のやり取りをを行ったことが契機となり、俳句を志して子規に教えを請い、その後雑誌「ホトトギス」に俳句や写生文が掲載されるようになった。
大正6年(1917)、「鬼城句集」が出版されると俳壇の中心となって活躍。自らの生活を詠んだ句が多いことから、境涯の俳人と呼ばれました。
浅間山の煙出て見よけさの秋
泉わくやときとき高く吹上くる
昭和13年(1938)9月17日、この地で没し埋葬されました。享年74。
日本文学史にもその名が残る代表的俳人である村上鬼城。群馬県内には27基の句碑が残されていますが・・・そのうち15基が高崎に建立されています。
近年、墓めぐらーってジャンルもあるようですねぇ。城巡り・古墳巡り・・・様々なジャンルがありますが、著名人の墓を巡り、その歴史を知ることも大切なことだと思います(^^♪
(参考資料)
現地案内板